お勧めの本2

お勧めの本2
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- Always
お勧めの本のOriginalトピックは、枝話が多くなりすぎてしまいましたたので、別トピックと立てて、ここまでみなさんからいただいたお勧めをまとめてみたいと思います。
「雪だるまさんのお勧め」さんの引用:
- ハムスター - ハムスターの飼育・医学・生態・歴史すべてがわかる スタジオ・ムック
- ハムスターの気持ちが100%わかる本(2) ドワーフ編 ミニペット倶楽部 (著)
- ダメ犬グー・11年+108日の物語 ごとうやすゆき (著)
- 捨て犬を救う街 渡辺眞子 (著)
- 食べられるシマウマの正義、食べるライオンの正義 竹田津実 (著)
「管理者さんのお勧め」さんの引用:
- ソロモンの指環 動物行動学入門 コンラート・ローレンツ (著)
- 動物と人間の世界認識 日高 敏隆 (著)
「Alwaysのお勧め」さんの引用:
- ゾウの時間ネズミの時間 本川達雄 (著)
- からだの設計図-プラナリアからヒトまで- 岡田節人 (著)
ぜひ、みなさんのお勧めの本をご推薦ください。
内容の範囲については、管理者さんから下記のように承っております。
「管理者さん」さんの引用:
プランクトンでも恐竜でも、生きている物なら何でもイイですよ。
命の価値は同じですからね。しかし、マンガとかはダメですよ。あくまでも知識として役立つ本ですね。
また、上記の本の全てはネットショップで扱われています。お読みになった方は、ご感想をお寄せください。
よろしくお願いいたします。

ソロモンの指環
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- 管理者
実は他のトピック用に、かなり前に書いていた内容なんですけど……。
ハムスターを飼っている人なら、
「私は神が都会に住むあわれな動物好きな者どものためにゴールデンハムスターをつくってくれたのだとさえ思う。」
という、言葉を知っている人も多いと思います。
これは、「ソロモンの指環 動物行動学入門(1998年 早川書房)コンラート・ローレンツ(著)日高敏隆(訳)」の引用です。ローレンツ博士は「動物行動学」という学問を確立した業績で、ノーベル生理学・医学賞を受賞を受賞した、生物学者・動物学者さんです。
しかし私はその言葉に、売り手側の都合のようなものを感じてしまったので、
「たった一度でよいからリスを部屋の中で放し飼いにしてみるがよい。そうしたら、ゴールデンハムスターが完全に無害なものに思えるだろう。」
の引用の方がスキです。とは言ってもかなり人間から見た都合です。そして「私は神が都会に住むあわれな〜」はゴールデンハムスターを対象にしただけのものですが、「たった一度でよいからリスを〜」はゴールデンハムスターと書いてあるが、ゴールデンハムスター以外のハムスターにも言える事です。
実は、いろいろ動物学などの本を読んでいる私には、始めて面白くないと思った動物の本でもあります。なぜ面白くないと思ったのかというと、内容が薄く、それでいて文章が長いので、オッサンの自慢話を交えた日記を読んでいるような気がしたのです。そもそも一番の間違いは、入門と書いてあるこの本より、他の本を先に読んでしまった事ですね。ホント失敗しました。
まぁ本のタイトルに入門と書いてあるし、600円程度の本なので、動物の事を今から知りたい人や、中学生くらいの人が読めば楽しいと思うし、ハムスターを見る目が必ず違ってくると思います。衝動買いでハムスターを買った人や、カワイイという理由でハムスターを飼っている人は、必ず読んだ方がいいと思いますよ。
夏休みの読書感想文にこの本を選べば、国語と理科と、ペットのための勉強が一度にできてしまうので、かなりお得かもしれませんね。
動物学の本を読んでいるなんて、なんだかスゲーとか思ってしまいそうですが、動物を飼っていて行き着くのは、獣医学や動物学だと私は思います。
しかし獣医学は結局は商売のための学問ですし、どんな動物も自分の都合で物事を判断するので、それだけでは動物たちの心は読めません。そもそも獣医になったところで、バカな飼い主が半殺しにしたペットを延命させるだけで、本当の意味で動物の命を救う事ができないからです。先天的な病気もあるから、一概には言えませんけど。本当に動物の命の事を思うなら、ペットを飼わない事や、お金持ちになって自然保護区を増やしていく事を考えましょう。
自分から動物学の本を読めるようになると、テレビで放送している動物番組が虐待に近い事だとわかり、動物園に行くより動物の本を読む方が、安くて楽しくて知識になるという事が分かると思います。
動物学って書いてますが、動物関係の学問は行動学や関係学などジャンルが多いので、研究者でも全てを網羅するのは無理なようです。そう考えると、書店で売っている本を買って、他人の知識を簡単に得られることって、幸せだと思います。

生物を広く浅く学ぶ
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- Always
サルが食いかけでエサを捨てる理由(野村潤一郎)
著者は獣医さんです。生き物について、広く浅く書かれています。
ハムスターについては全くといってよいほど書かれていませんが、これから生き物を飼い始める方には、多少の知識にはなるのではないでしょうか。

人間もサル
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- 管理者
「Always」さんの引用:
ハムスターについては全くといってよいほど書かれていませんが、これから生き物を飼い始める方には、多少の知識にはなるのではないでしょうか。
人間は、やっていることは社会的で高等ですが、微生物や昆虫などと同じく目的は原始的ですからね。考える頭を養えば、ハムスターの本でなくても十分を勉強できますよね。
最近、本ばっかり溜まって、読む時間がないです。

Re: 人間もサル
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- ピッコロ
ハムスターとまったく関係ない本なのですが、ベルナのしっぽ。
何処から販売されているのか忘れてしまいましたが、凄く感動でき、命の大切さを改めて実感出来る本です。
本が好きで良く立ち読みをしてしまうのですが、動物園の動物の値段や、飼育係りのコメント等の記載ばかりの本がありました。
ラッコは50万だそうで、シーラカンスが物凄く高かったです。(値段は忘れてしまいましたが、億単位でした)

かなり年月を経過しての感想です
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- 山登魚
「Always」さんの引用:
お読みになった方は、ご感想をお寄せください。
このところ図書館に寄る機会が多く、こちらでご紹介頂いた本をいくつか見かけましたので、思い切って区内の図書館に在庫があるものを全て取り寄せ、ないものはネットで購入して、一気に読んでみました。
まずは犬や猫が主題の本から、概略と感想を述べさせて頂きます。
引用:
郡司ななえ『ベルナのしっぽ』イースト・プレス 1996年6月
幼い頃の心傷から犬が大の苦手だった著者と、盲導犬ベルナとの出会いから別れまでを綴ったノンフィクションです。こちらは絶版となり、再版(ナナ・コーポレート・コミュニケーション)や文庫版(角川文庫)等、様々な形で出版され、白石美帆さん主演で映画化もされていました。日本獣医学会や日本動物病院福祉協会の推薦図書にもなっています。
酔っ払いにタバコを押し付けられ、火傷を負いながらも声一つ上げず歩き続ける仕事中の姿や、トランプ遊びでも何でも家族と一緒に参加したがったり、留守番中のいたずらがばれると寝たふりをしたりするといった家での姿等、著者は失った視覚を補って余りある知覚の感受性の高さで、ベルナの心身の細やかな動きを読み取り、丁寧に言語化しています。
盲導犬は、10歳前後を目安にリタイアし、ボランティアの家や育った盲導犬協会で余生を過ごすことが多いようですが、著者はベルナを「長女」として、家族の協力を得ながら、最後まで自宅で共に暮らすことを選びます。
物理的に犬に依存することが前提のオーナーと、相手と一体となって支えて行くことが自身の自尊心の拠でもあった犬との心の繋がりは、家族という表現以上に深く、強いです。
けれど、著者が深刻なペットロスに陥らなかったように思えるのは、間もなく次の盲導犬を迎えることにしたのと、仕事と家事の忙しさに加え、ベルナの「弟」に手が掛かり、ぽっかりと空いた喪失感に浸るだけの時間がなかったからではないかと思いました。
NPO法人全国盲導犬施設連合会で配布している冊子によれば、2002年の身体障碍者補助犬法の成立により、施設や乗り物等に補助犬を同伴することが法的に保障されるようになりましたが、2020年に実施した全国調査では、盲導犬受け入れ拒否を経験したユーザーは全体の5割を超えていたとのことです。
2023年3月31日現在、国内の盲導犬実働数は836頭で(「2022年度盲導犬訓練施設年次報告書」より)、著者はその中の1頭と、今も共に暮らしています。そして、幼稚園や学校で盲導犬を知ってもらうための「おはなしの会」を通して、ベルナもまた、盲導犬としての仕事を続けています。
引用:
ごとうやすゆき『ダメ犬グー・11年+108日の物語』文藝春秋 2002年12月
こちらは、ドーベルマンのグレイスを家族として迎えた日から、やがて信頼関係が築かれ、幸せだった毎日、そして老いと病の末の別れと、その後のペットロス体験までを、詩人でもある著者が、詩の体裁で綴った本です。
雑誌『愛犬の友』に連載されたコラムを単行本化したもので、文庫版(幻冬舎文庫)や絵本、漫画版も発行されていました。
私は犬を飼ってはおらず、お隣(ペット可のマンション在住です)や兄弟・親戚の犬とたまに遊んだり散歩に行ったりする程度ですが、そうしたお付き合いのあるシェルティ、ラブラドール、ミニチュアダックス、拾った日本犬や雑種の子たちを色々と思い出しながら読みました。
犬あるあるや、妙に人間臭いところ、かなり個性的なところが混在していて、読んでいるだけで、グーの体温や手触り、体の重み、外での足音や床を掻く爪の音、臭いや息づかいまでもが感じられるようで、「親友」であり「恋人」であり「妹」であり「子ども」のようなグーと共に暮らし、触れ、会話し続けてきた著者の姿も、行間から伝わってきました。
グーの病気が進行していく過程では、獣医師から手術を勧められているなら、リスクやストレスを理由に様子を見たりせずに、まだ体力があるうちに積極的に治療してほしかったのに、と何度も残念に思いましたが、読み進めながら、これまで自分がお世話してきた子たちの最期や、空っぽになったケージ、もういないのに好物を取り分けようとする等、ついやってしまう日頃の習慣を思い出し、胸がいっぱいになりました。
私が今まで飼ったことのある動物は群れを作らない種類がほとんどで、なついたといっても接する時間の短さからいって、生活の中心ではなかったからでしょうか。いなくなった後、喪失感でどん底に沈み切った状態から、不意に襲われる悲しみや痛みの剣先が次第に和らいでいき、また新たな子をお迎えしたいと思えるようになるまでの期間は、愛犬を失った方々よりは短かったと思います。でももし飼っていたのがグーのように甘えん坊で優しく、存在感の大きい犬であったら、私も亡くした後、相当辛い時間、痛みを長引かせるような気がします。
引用:
伊藤秀倫『ペットロス いつか来る「その日」のために』文春新書 2023年5月
上記の本は科学的根拠に基づかない記述も一部含まれるため、読むに当たって客観視していく必要があるのですが、これによると、ペットロスは、肉親や親友と死別した場合と同様、自分にとって大切な相手を失うこと、すなわち精神科学の用語でいうところの「対象喪失」に当たります。
ですから、近年の欧米諸国では、ペットの死を悲しむのは当たり前だという考えが浸透していますが、日本では今も「ペットが亡くなったくらいでそんなに悲しむなんて」という考えがあり、周囲の理解が得られにくく、無理に感情を抑え込もうとして、ペットロスを長期化させてしまう傾向にあるといいます。
さらに、日本人が欧米の人と比べてペットロスが重くなりやすい背景として、動物病院を中心に活動を続けている動物医療グリーフケアアドバイザーの阿部美奈子氏は、以下の点を挙げています。
- 欧米人の多くが心の依存対象を自身の信仰する「宗教」に見出すのに対し、日本人は無宗教が多く、ペットが心の依存対象となりがちである。
- 欧米では日常的に家族や友人とふれあう機会が多いが、日本ではペットのみがその対象となっていることが多く、ペットを亡くしてしまうと、そうした身体接触を伴う愛情表現の対象を失ってしまう。
- 核家族化が進み、社会においても人間同士の距離自体が広がってしまい、誰にも本音を打ち明けられない状況の中で、依存対象としてのペットの役割がますます重くなっている。
同書では、ペットの死後、自分を責めて後悔し、自分の内面へと向かいがちになるのではなく、まずは納得できる形でお別れの儀式を行い、次にその悲しみを誰かに話す等して自分の気持ちを表に出すことが大事だとして、その子への感謝を伝える方向に気持ちを向けることができれば、やがて前に進んでいけるようになっていくと述べられています。
ごとう氏は、この物語を書き著すことによって、グーと一緒に過ごした幸せな日々の記憶を取り戻していくことができ、別れの日から時間が止まったままの苦しさからゆっくりと回復していったのではないかと思いました。
引用:
渡辺眞子『捨て犬を救う街』WAVE出版 2000年1月
遺棄された犬猫の保護活動や殺処分の実情について調査・取材したノンフィクションです。
著者は、肉食は命を奪うものとして菜食主義を評価している点など、自分には共感しにくい考え方があり、厳しい現実を目にして、時に感情の高ぶりを抑えられずに書いている部分もありました。
それでも、ボランティア精神や寄付文化を背景に先進的な保護活動を続けるアメリカ・カリフォルニア州のシェルターと、それとは対照的な日本の施設を紹介し、去勢手術が進まず、持ち込まれて殺処分される件数が圧倒的に高い状況を変えるため、調べた内容を公にできたことは、非常に有意義だと思います。
日本では、飼い主や里親、保護団体が「動物愛護センター」から引き出しをしない限り、純血種と思われる若い個体であっても、病気や老化で介護が必要な個体であってもまとめて収容され、期限が来れば例外なくガス室に移動させられます。彼らがそこから抜け出すことは決してできず、誰にも看取られることなく苦しんで力尽きた後は、そのまま焼却され、小さな骨になります。
私は、仔犬や仔猫は比較的里親が見つかって助かる確率が高いと思っていたのですが、親から離して育てるには小さ過ぎる月齢だと、数時間ごとにミルクを与えたりして世話に負担が掛かるため、通常の期間の猶予を与えられずに、即注射によって殺処分されることを知り、無責任な繁殖を行った元飼い主に対して、やるせない気持ちになりました。
引用:
エリザベス・オリバー『日本の犬猫は幸せか 動物保護施設アークの25年』集英社 2015年10月
上記の書は、飼い主や行政のあり方からペットビジネスの闇に至るまでかなり具体的に書かれているのですが、これによると、ある県の施設では、犬猫が収容される部屋には冷暖房はもちろん、濡れたコンクリートの床から逃れる棚も台もなく、滑りやすい床は足が弱った老犬には危険な上、天井の換気扇からは冷たい風が絶えず吹き出していたそうです(訪問当時は3月)。
欧米で推奨、実践しているのは致死量の麻酔薬を注射することによる安楽死ですが、日本では収容されて3~5日後に二酸化炭素ガスによって殺処分されるのが普通で、1頭の犬が息絶えるのにかかる時間は大体20~30分、つまり、その間犬や猫は苦痛に耐え続けなければならないということです。
また、別の県では、成猫は麻袋に、仔猫はポリ袋に入れられてぎゅうぎゅう詰めにされ、二酸化炭素ガスを吸引させられる前に窒息死している場合もあり、小型ケージに収容されたとしても、トイレも寝床もないまま散水によって排泄物と食べ残しを洗い流すので、冬場などは凍死する猫もいたようです。
さらに別の県では、スチールケースのフタを開けてみると、ゴミ袋のように口を結んだ透明のビニール袋の中に小さな仔猫数匹が入れられていて、箱の中がいっぱいになれば殺処分されるとのことですが、鳴き続けながらその日が来る前にゆっくりと死んでいく、といった施設もあったそうです。
本書に話を戻すと、著者はカリフォルニアのシェルターを理想的だとして紹介していますが、先述の伊藤氏の著書等によれば、アメリカ全土にはシェルターが約14,000か所あり、約800万匹の遺棄された犬と猫が保護されていて、そのうち約半数の、年間約200万~400万匹の犬と猫が安楽死させられています(2021年現在)。
公立シェルターに一時的に保護できても、引き取り手続きが可能な状態になってから、わずか72~96時間までしか猶予がないことも珍しくなく、特に9歳を超える老犬がシェルターで生き延びられるチャンスはぐんと少なくなるとのことです。
渡辺氏の報告から25年、オリバー氏の報告から10年が経過した現在の日本では、殺処分される犬の中からも介護犬が生まれていて、近隣の犬猫保護施設を支援する団体(NPO法人)から先月頂いたチラシによれば、7年前には15万頭もの犬猫が殺処分されていたのが、現在は11,000頭を切っています。
殺処分をゼロにするため、今の自分にできることは何か、その際どんなことに注意したらいいかについては、以前、
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というトピックもありましたね。

かなり年月を経過しての感想です
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- 山登魚
次は、野生動物についての本です。
引用:
竹田津実『食べられるシマウマの正義、食べるライオンの正義』(株)新潮社 2001年6月
こちらは、北海道で野生動物を診ている獣医師による、アフリカ旅行記です。著者は映画「キタキツネ物語」の動物監督も務めています。
現地の動物たちの平和と緊張を切り取ったような美しい写真が多く、スケールの大きい、スリルとユーモアに溢れた本ですが、特に興味深かったのは、最終章の「弱肉強食ではない」という考えです。
著者によれば、野生動物は人間や家畜との接点もあり、家畜に流行病が発生すれば感染、流行してもいいのに、そうした重篤な疾患はほとんど見られないといいます。
捕食者は一番弱い個体ではなく、現地の人曰く「一番美味しそうな」個体を狙って狩りをします。
一般に、ウイルスでも菌でも、感染直後はその個体は他者に対して伝染能力を持たないため、発病前に殺されれば、どんな流行病でも単独個体で終息することになります。
感染個体は早く殺される必要があるため、感染したシマウマ等の被捕食者は「美味しい」という信号を発し、ライオン等の捕食者がそれに応えたのが狩りではないか、とのことです。
ただこの考察は、あくまで著書の観察と現地の聞き取り調査に基づくもので、狩られた動物の遺骸にウイルス等があるか実際に調べている訳ではなく、現在ではサルやコウモリ等、野生動物を宿主とする感染症の存在が知られていることに留意する必要があります。
もしも病気を発症した個体が信号を発しているとしたら、現代は感染個体数が捕食者の需要を上回っているのかも知れません。
引用:
白輪剛史『動物の値段』角川文庫 2010年1月/『動物の値段 満員御礼』角川文庫 2014年12月
別トピックの中で触れた初版は既に絶版となっていましたので、こちらでは文庫版として再編されたほうの内容を紹介し、感想を述べたいと思います。
著者は野生動物の輸入販売を行う動物商で、静岡で爬虫類の動物園を開園し、現在も園長を務めています。タイトルの『動物の値段』というのは命の値段という意味ではなく、生息数、入手難易度、輸送難易度、大きさ、飼育難易度、及び検疫に掛かるコストを勘案して設定された販売価格のことです。
野生動植物の取引はワシントン条約によって規定されていて、日本はこの条約の加盟国になっています。この条約には、国際取引が多く、市場原理に任せて漫然と取引を続けていれば絶滅の危機に瀕してしまう恐れのある野生動植物が記載されています。従って、レッドリストとは異なり、本当に絶滅の危機に瀕していても、国際取引が行われていない種類や、取引の可能性のないものは記載されていません。
加盟国は、このワシントン条約の内容に沿った取引になるように自国の既存の法律を整備し、あるいは新たに制定する必要があり、日本では、ペストの予防という観点から、2005年より野生由来の齧歯目が全面輸入禁止となっています。
さて、本編ではライオンやキリン、シャチ等、動物園や水族館でよく見る動物を、続編ではハリネズミ、モモンガ、ハムスター等、家庭で飼える動物(?)を中心に、性質の凶暴性や大きな鳴き声、強烈な臭いの有無といった生態、エサの種類や量、必要なスペースや温度・湿度等の飼育環境、さらには飼育者が受ける怪我や感染症のリスクに至るまでの内容が、ユーモアを交えてテンポよく紹介されています。
中でも印象に残ったのは、サイやゾウ、オオカミ等、角や牙、肉、毛皮を目的として乱獲されたり、家畜を襲う害獣として駆除されたりして絶滅の危機にあるにも関わらず、種類によっては保護施設で繁殖させてももはや帰すべき故郷を失っている話や、マングースがハブを駆除するため沖縄等に放たれながら、他の在来種の存続を脅かしたとの理由で、逆に外来種として駆除対象とされてしまった話で、人間の都合で野生動物の存続に影響を与えている現状について、色々考えさせられました。
また、続編のあとがきに書かれた捕鯨問題の話も印象的でした。
かつて油を探るためだけにクジラを利用していたアングロサクソン系の国々は、石油の登場により一転して捕鯨禁止を訴え、捕鯨国であった日本は、1982年から商業捕鯨を禁止して調査捕鯨のみを行うことにし、調査の結果、クジラの個体数は回復したことが分かったのですが、今度は全世界の人間の1年間の漁獲量を上回る量の水産資源が、クジラたちの捕食により減少しました。
著者は、反捕鯨国との政治力の差や大きな圧力団体の存在があり、今後も保護を止めることはできないとしながらも、今ある家畜もはじめは皆野生動物であったとして、持続可能な自然環境の商業利用について、考察を促しています。

かなり年月を経過しての感想です
投稿日時:
- 名前
- 山登魚
続いて、生物学の本です。
引用:
本川達雄『ゾウの時間ネズミの時間』中公新書 1992年8月
動植物の体の仕組みについて、生物の設計原理としての3/4乗則を中心に、平易な言葉で簡潔に説明した生物学の大ベストセラーです。
このうち、ハムスターに当てはまる内容を紹介すると、まず、サイズの小さいものは必要とする食物の絶対量が少なく、小回りが利くので、個体としての生存する確率は低くても、種全体として生き残る確率は悪くないという点が挙げられます。
次に、サイズが小さければ体温も暖めやすく冷めやすいため、必要なときだけ高温にできます。種類によっては冬眠によって体温を下げることで、恒温動物と比べ、省エネに徹しています。
また、小さい哺乳類は、体重あたりで比べれば、非常に多くの食べ物を必要としていて、葉だけではなく、より栄養価の高い果実や種子や貯蔵根を食べています。
そして、サイズの大きな哺乳類でも、草に含まれている細胞質だけから栄養をとることはせずに、反すうする方法によって繁栄しているとあり、これについて本文にはないのですが(ハムエッグには既に分かりやすい説明があります)、ハムスターも2つの胃と腸内バクテリア、食糞行動といった仕組みによって、小さい体でも効率的な栄養摂取を可能にしていて、反すうする動物に近い機能があります。
小さくて弱い動物の印象があるハムスターですが、長い進化の過程で見ると、その生き残り戦略は、人間より優秀なのかも知れないと思いました。
引用:
岡田節人『動物の体はどのようにしてできるか-発生生物学入門』岩波新書 1981年12月/『からだの設計図-プラナリアからヒトまで-』岩波新書 1994年10月
図書館にあったのは初版のほうですが、改訂新版発行までの15年の間に発生生物学上の大きな発見があり、大幅に加筆修正されています。ここではAlways様おすすめの改訂版のほうをやや長めに紹介し(要約し過ぎると難解な印象になるため)、簡単に感想を述べたいと思います。
こちらは、生物の仕組みを研究する発生生物学の第一人者ともいえる著者が、一般向けに書いた本です。
まず、ヒトを含む全ての動植物の中には、ホメオティック遺伝子(以下ホメオ遺伝子)がそれぞれ1つだけあり、その他全ての下位の遺伝子を変化させることができます。このホメオ遺伝子には共通の塩基配列部分があり、これはホメオボックス配列と名付けられています。
動物の形作りは、はじめにビコイド遺伝子、ナノス遺伝子が受精卵の前後(頭側・尾側)を決め、続いてギャップ遺伝子群が体の分節を作り、その後ホメオ遺伝子群が背腹、左右を決め、それぞれの分節を頭・中胸・尾といった形に分節を個性化させていくのですが、これらの遺伝子はいずれもホメオボックス配列を持っています。
そして、カルシウムの存在をベースとして、カドヘリン遺伝子がそれぞれの細胞を1グループにまとめて接着していく一方、目や腎臓等、異なった細胞ごとに混じり合わないよう、選別していきます。同じタイプのカドヘリン分子を表面に持った細胞同士は接着できますが、異なったカドヘリン分子を持つ細胞の間は接着できず、細胞間選別という現象が起こります。
ここで登場するのが悪性腫瘍細胞、すなわち、がんの話です。この細胞の特徴の一つは、増殖能力がさかんなことであり、第二には、体の色々な場所へ転移することです。
カドヘリン分子の先端は細胞の外へ出ていますが、反対側は細胞の内部、つまり細胞質の中に根を張っています。そして、その根端は、細胞質にあるカテニンという別のタンパク質と結合していて、カドヘリンを持ったがん細胞の脱接着は、何らかの原因でこのカテニンに異常があったことによって始まります。脱接着した細胞は、血流に乗って移動し、どこかで再接着し、そこで増殖します。
カドヘリンを持ちながら、カテニンの異常のため脱接着したがん細胞は、カドヘリンを全く失ってしまった細胞より再接着しやすいと考えられており、あちこちの血管の内側の壁で再接着して増えているのには、このタイプのがん細胞が多いとのことです。
さらに、カドヘリンは、細胞の接着・識別の仕組みを利用して、神経細胞からの神経線維の伸長を促し、動物体の神経のネットワークも作っています。
次に、動物の体の中で、脳や脊髄といった中枢神経系が作られるには、別の器官・組織に発生すべき形成体という細胞群と、お互いに働きかけあいをする必要があります。この相互作用のことを、胚の発生についていうとき、(胚)誘導と呼びます。
動物の卵が発生していくと、大別して三つの層からなる胚となります。これらを体の外から内へ向かって、外胚葉、中胚葉、内胚葉と名付けています。そして、それぞれの胚葉から特定の組織や器官が作られてきます。
外胚葉からは体の表皮や神経管が、中胚葉からは脊索、筋節(筋肉の束)、腎臓等が、内胚葉からは消化管 (正確にいうと消化管の内皮)が、それぞれ発生します。
形成体は中胚葉の一部にあって、中胚葉から外胚葉へと働きかけています。すなわち、背側内胚葉→背側中胚葉(形成体)の誘導→形成体による中枢神経系の誘導、という背側優位の連鎖が脊椎動物の基本体制を実現する流れとなります。
この中胚葉の誘導を主に行っているのがアクチビンという分子です。アクチビンが高濃度で長時間処理されるにつれて、中胚葉性組織は、血球→筋肉→脊索と移っています。
その他、アクチビンの働きにより、今度は予定外胚葉で、グースコイド遺伝子という、これもホメオボックスを含んだ遺伝子が働きはじめます。グースコイド遺伝子は、嚢胚の中で、原口の背中側の上部、つまり形成体の場所で仕事を始めます。この遺伝子はマウス胚でも神経の誘導を行うことが分かっており、他にもノギンと名付けられた遺伝子もあって、これはラットの親の脳でも仕事をしています。
マウスであっても、ショウジョウバエのものであっても、ホメオ遺伝子の司令に従って働き始める下位の遺伝子群は共通のセットとなっていて、それぞれのホメオ遺伝子が仕事を始める場所も、その形作りという機能も共通しています。
そこで、マウス(哺乳類)とショウジョウバエ(昆虫類)との、ホメオ遺伝子の構造上の共通性から、それらの始原動物を想定する必要が出てきて、ホメオ遺伝子は、動物が植物や菌類から分化する以前に現れていたと考えられている、とのことです。
前に何かの書籍で、ヒトの祖先はサルではなく、もっと分化の根源に近いほう、すなわちヒトやサル、マウスの祖先に当たる、大きなマウスのような哺乳類から進化したものだと読んだことがあります。しかし、この書によって、ヒトは遺伝子の構造上、マウスだけでなく、ハエともほとんど変わらないことが分かり、さらに視野が拓けたように感じました。

かなり年月を経過しての感想です
投稿日時:
- 名前
- 山登魚
最後に、ヒトや家畜のあり方についての考察を含む、動植物の本です。
引用:
野村潤一郎『サルが食いかけでエサを捨てる理由』(株)筑摩書房 2006年5月
地球全体から見た生物の進化と絶滅の過程から始まり、生物の心の有無、最終的には動物の幸福とは何かについて、軽妙な語り口でユーモアを交えつつ、終盤に向かうにつれて鋭く核心を突いた持論が展開されて行きます。
私は動物よりも野山や植物との付き合いのほうが長く、人間と他の動物、動物と他の生物といった具合に、人間の尺度で生物を線引きしない著者の考え方にはしっくりきます。
また、特に印象に残ったのは、動物を飼うことは傲慢か否かについてです。
著者によると、動物は「自然圏に生きる野生動物」と、「人間圏に生きる家畜」とに分けられ、家畜はみんなネオテニー(幼形成熟)で、一生独り立ちできないため、面倒を見る人間が必要です。
牛や豚の祖先はほぼ絶滅していますが、人間に家畜化されることによって、「種全体の存続」が保証されています。
絶滅のリスクを背負ってでも野生に留まって人間と拮抗するより、個体は人間に捕食されても、種全体が他の種に打ち勝ちつつ存続するなら、その動物種は成功、といえます。
動物にも様々な立場があることを理解した上で、それが傲慢かどうかを的確に判断できる知識が必要であるということです。
私は、ペットとしてゴールデンハムスターを飼い続けることは、種の存続への貢献ではないかと思いました(自分自身が貢献できるかは、今のところ未定です)。
引用:
K.ローレンツ『ソロモンの指輪』早川書房 1973年10月
英語版は1952年、日本語版は1963 年に初版が出ていて、はじめ見つけて拾い読みしたのは上記の初版第5刷でしたが、管理者様が引用された部分が載っている第2版の方が詳しく、訳も読みやすくなっていましたので、これから図書館や古本で探される予定の方は、改訂版を入手することをお勧めします。
こちらは、著者が自宅の室内外で様々な動物を放し飼いにすることによってその行動を観察し、研究した内容を一般向けに著した名著です。
私は今もベタ(闘魚)を飼っており、アクアリウムについても反省を含めて書きたいことはいくらでもあるのですが、ここでは的を絞って紹介し、感想を述べたいと思います。
まず、コクマルガラスは、黒い翼を見ると一緒に飛びたいという衝動を抑えられなくなったり、黒い揺れ動くものを掴んだところを見つけると、捕食者に捕らえられた仲間を守るため、途端に激昂して集団で攻撃してきたりします。これは後の日高氏の著書の中で明らかにされるように、彼らが遺伝子に組み込まれた認識世界を構築していて、それに従って本能的に行動している結果なのだと思いました。
次に、トゲウオの群れのうち、ナンバー1同士のつがいとナンバー2同士のつがいのメスを交換する実験では、最も美しいメスを失ったナンバー1のオスが怒って代わりに入れられたメスを攻撃し、最も美しいメスを得たナンバー2のオスが嬉々としてこれを受け入れるといった結果も、日高氏が述べているように、動物が「種の存続」のためではなく「自分自身(の遺伝子)」のために最良の相手を選択している例ではないかと思われ(もし「種の存続」のためなら、それぞれのつがいが子孫を残したほうが、種としての個体数は増えるはずですから)興味深かったです。
また、野生動物が家畜化する過程と、家畜化された動物の特徴については、先に紹介した野村氏の著書で指摘している内容よりも、さらに丁寧に説明されています。
即ち、多くの場合、野生祖先種には幼若期のみにごく短期間見られるに過ぎない体の構造や行動が、家畜化した動物にはそれが一生涯保たれているという点です。
例えば、多くの家犬品種に見られる短い毛、巻いた尾、垂れ耳、丸っこい頭、短い鼻先は幼若期の特徴であり、行動においても、野生祖先種であるオオカミやジャッカルでは幼若期の間だけその母親に対して愛着を示すのに対し、家犬では一生涯を通じて保たれており、それが変わることのない忠実さとなって主人に結びつけています。
従って、イヌ自身の本質は変化せず、ただ対象が人間に移されただけの群れへの愛着と、家畜化によって持続的なものになった仔犬としての愛着とが、イヌのあの忠実さを形作っていることになり、イヌと人間とは、互いに食糧を確保したり外敵から身を守ったりするため、狩猟採集の時代から協力し合ってきた友であるとして、その後に家畜化された動物とは完全に区別しています。
しかし、イヌを飼うためには散歩や相手をするだけの十分な時間が必要であり、キツネやオオカミ、ハクチョウやオウムといった動物を飼うには、自由に走り、或いは羽ばたけるだけの広いスペースが必要です。それでは、そういった環境を用意できない人は、一体どんな動物を飼ったらいいのでしょうか。著者はその答えとして、他の何種類かの動物と共に、ゴールデンハムスターを挙げています。
ゴールデンハムスターについては、イギリスの研究者からロンドン動物園に贈られ、増えたハムスターが一般販売されたのが1937年。人気が高まり、アメリカやヨーロッパでも飼育人口が一気に拡大したのがその約10年後で、『ソロモンの指輪』のドイツ語の初版が出版されたのが1949年ですから、入手しやすくなったとはいえ、まだ飼育方法が一般化していない時期に著者はハムスターを入手していることになります。
そして部屋で放し飼いして観察し、その可愛らしさと飼育の容易さを絶賛するのですが、自由に繁殖させたり、仔ハム同士の喧嘩を微笑ましく見つめていたりしているうちに、壁とタンスの隙間をチムニー登攀(背中側の岩壁に体重をかけ、向かい側の岩壁に手足を突っ張りながら登っていくやり方)で登頂する方法を覚えられ、大事な手紙の束の中に巣を作られてしまいます。また、同じく放し飼いにしていたサバクトビネズミの安全も脅かされていたことから、著者は放し飼いの失敗を認め、ハムスターを檻の中に戻したことを告白します。私はこの追記によって、家畜化されて間もないハムスターの知性と体力を再確認すると共に、著者に対して親近感を覚えました。
さらに、ハムスターの単独飼育を必須とする論拠ともなると思われるのが、以下の内容です。
即ち、オオカミやワタリガラス等、危険な武器を発達させた狩猟動物は、形勢の不利を感じると服従の態度を示し、自分の急所を無防備に晒すと、相手はそれ以上群れの仲間を傷付けることができなくなるのですが、これは、種の絶滅を防ぐために、長い進化の結果、本能的に社会的抑制を持つようになったものと考えられます。
一方、相手を傷付ける力がごく弱く、逃げ出す能力が発達しているウサギやハト、ノロジカ等の「平和的な」草食動物は、社会的抑制を持っておらず、つがいの相手や子どもであっても怪我させたり殺したりするまで攻撃し続けます。このことは、これらの動物を狭い檻に沢山詰め込んでおくとすぐに分かるとして、恐ろしい例を挙げています。
このように、全ての社会的動物は、進化の過程で武装していくほど、遺伝的に衝動を抑制する体系をも発達させてきました。
しかし、武器相応に強力な抑制が用意されていない、たった一つの動物があり、それは人間であると、著者は述べています。
人間は、自然から与えられたものではなく、自らの手で武器を創り出し、その威力を急速に増大させています。本能や遺伝による抑制は途方もない年月を要し、自分たちが創り出した強力な武器の使用を抑制するには年月が足りません。
だからこそ、武器を創り出すことと同様に、自分たちの創造した武器によって人類を滅亡させないための抑制を創り出すことが重要であると、著者は人類に対して、強く警鐘を鳴らしています。
引用:
「いつかきっと相手の陣営を瞬時にして壊滅しうるような日がやってくる。全人類が二つの陣営に分かたれてしまう日も、やってくるかもしれない。そのとき我々はどう行動するだろうか。ウサギのようにか、 それともオオカミのようにか? 人類の運命はこの問いへの答えによって決定される。」
この書が著された時代が両大戦の最中であることを考え合わせると、私にとっては最も強く心に残る言葉となり、これを訳出した日高氏も同じ思いだったからこそ、原書の順番を入れ替え、この章を最終章に選んだのではないかと思いました。

サーバーへの負荷が気になりつつ
投稿日時:
- 名前
- 山登魚
引用:
日高敏隆『動物と人間の世界認識』筑摩書房 2003年12月
こちらも、あまり短く要約すると抽象的過ぎて難解になるため、著作権法上の懸念はあるのですが、以下長めに紹介します。
人間以外の動物は、紫外色は見えて赤が見えないといった視覚や、超音波は聞こえて別の周波は聞こえないといった聴覚等、それぞれの種の知覚的な枠の中で、遺伝的に組み込まれた繁殖相手や食物、天敵といった、自分にとって意味のあるものだけを認識します。
そして、繁殖相手や食物と出会える可能性の高い場所や植物、メスの羽の色、エサとなる小動物や守るべきヒナの鳴き声などを認識し、その意味のあるものだけによって、自分たちの世界を構築しています。この動物が構築した主観的な世界を、著者は環世界という言葉で表現していて、それは、真実の世界と異なるので、イリュージョンといえます。
一方、人間は、超音波や赤外線・紫外線など、知覚的な枠を超えたものも、色々な機械や技術を使ってその存在を証明し、性質を調べて理解し、その知識と概念の上に立って世界を構築しています。
その時点での知識や概念を含めて世界を構築している以上、天動説から地動説への変化のように、その人間が属する時代や文化、世代によって、構築される世界、すなわちイリュージョンは変化して行きます。
いくつかの文化では、神によってこの世界が作られ、人間はその中で生きているというイリュージョンを構築し、これを信ずることによって、自らの困難な状況を乗り越え、生きていくことができました。
また、別の文化には輪廻転生の思想があり、人間の魂(業)は、死後別のものとしてまた生を得、それが延々と繰り返されていると信ずることによって、自分の生が永遠に続く世界というイリュージョンを得ることができました。
ところで、生物学上、この世界で永遠に生きていけることを願う主体とは、一体何でしょうか。
かつて、動物たちは、種族維持のための行動や群れの形態を進化させることによって繁栄し、そのような進化を遂げられなかった種は絶滅したと考えられていました。
しかし、動物学研究が進んだ1960年代ごろから、新たにハーレムを持ったオスが、それ以前にいたオスの血を引く子どもを皆殺しにする一方、メスたちに自分の子を産ませ、育てていく事例が次々に見つかるようになりました。
そこから、動物たちは種族のことなど考えず、自分の血のつながった、すなわち自分の遺伝子をもった子孫をできるだけ多く後代に残したいということだけを考えている、という発想が生まれました。
この発想は、チャールズ・ダーウィンが『種の起原』の中で「よりよく(環境に)適応した個体はより多くの子孫を残し、その結果、よりよく適応した個体が増えていき、その方向に進化がおこる」と述べた、進化論の根幹とも一致します。
そこで、ある個体が自分の遺伝子を持った子孫をどれだけ多く後代に残せたかを示す指標をその個体の「適応度」とし、それぞれの個体が自分の適応度を最大化することを目指して生き、その結果、種族も維持されていると考えられるようになりました。
さらに、リチャード・ドーキンスは、自分の適応度を最大化することを目指すよう動物に振舞わせるのは、それぞれの動物の個体に宿っている遺伝子なのだと考えました。
遺伝子は、自分の利己的な利益のために、宿っている個体に命を維持させ、環境への適応度を増やして沢山子孫を作らせることによって、遺伝子自身が増えていくことを望んでいるとし、それを彼は「利己的な遺伝子」と表現しました。
さらに、人間についてみると、他の動物のように、死後も自分の遺伝子を残すだけでは満足せず、自分の名とか作品といった、自分が存在したことの証明として、文化的な遺伝子をも残すことを望んでいて、それが人間の文化を育んできたとしています。ドーキンスはこの文化的な遺伝子を「ミーム」と名付けました。
このミームは、永遠に生きていくことへの現代的な願いであり、そういうイリュージョンを持つことによって、自分の生きている意味を認識し、生きるための指針を得ることができるとしています。
人間にも知覚の枠があり、認知し得ない部分を概念で補っている以上、真実に近付くことには限界があります。したがって、人間がこの先何かを発見し、新たな世界を構築したとしても、その世界は常にイリュージョンとなります。
しかし、そのように何かを調べて考え、より真実に近付いたと思われる新たなイリュージョンを構築することによって、人間は新鮮な喜びを得ることができ、人間が心身ともに元気で生きていくためには、こうした喜びが不可欠なのだと著者は締めくくっています。
まとめ
私は、今回ご紹介頂いた本を通じて、先輩ユーザーの方々が様々な動物との関わりを持つ中で、それぞれの命の重さへの理解を深めておられるということを感じました。
また、後半の生物学に関する本は、今日の通説となっており、管理者様の生物観の根幹に近い内容であることも分かり、おすすめの本に挙げられた理由に納得が行きました。

訂正です
投稿日時:
- 名前
- 山登魚
『ベルナのしっぽ』
- 身体障碍者補助犬法→身体障害者補助犬法
- 相当辛い時間→相当長い時間
『からだの設計図』
- 改訂新版発行までの15年の間→13年の間
- 分節を頭・中胸・尾といった形に分節を個性化させて→分節を頭・中胸・尾といった形に個性化させて
- ラットの親の脳→ラットの脳
見直しが甘くて申し訳ありません。

今度は補足です
投稿日時:
- 名前
- 山登魚
日高氏の著書に対する自分の感想が抜けていました。
私は、人間が他の動物と同様に、自分やその子孫の存続・発展を希求するよう遺伝子によって作られていたとしても、だからといって利己的であることに甘んじたくはありません。
ローレンツ氏が述べたように、人間はその進化した脳(理性)の力によって、利己的な行動を抑制し、自分やその子孫以外の様々な動植物の存続・発展をも希求するよう考え、行動することは可能であり、自分もそうした人間に近付くことを目指したいと思っています。